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by kyouichinichi0104
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『心の家出』
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父と母 2
 そんな私もある程度の年齢になり、自分の世界が開けてくると同時に、自分の母親は他の母親達とは違うということに徐々に気がつき始めた。
18歳になった冬、主治医から初めて母の病気についての説明があった時のショックは今でも忘れることができない。

あのときも母は状態が非常に悪く、夜中錯乱し渡しにまで手をあげようとした。
恐怖のあまり家をはだしのまま飛び出し、真夜中に近所の家で電話を借り泣きながら親戚の家に電話をした。
私からの電話であわてた叔父と叔母が駆けつけたのだった。
ただならぬ母の形相をみて、状態の悪さを察した叔父達は嫌がる母をなだめすかし、そのまま無理やり母を病院へと引きずっていったのだ。

一人家に取り残された私は、後日入院した母の元へ身の回りのものを届けるために病院へと向かった。
病室へ入ると不眠と錯乱で疲れきり、土色の顔をし安定剤によって昏々と眠り続ける母を目の当たりにした。
それまでに何度も入退院は繰り返していたが、あれほどまでに状態が悪い姿を見たことがなかった私は、ショックという言葉以外の何も出てこなかった。

主治医の口からそのときに初めて母の病状についての詳しい説明があり、ショックと同時に今まで霧に包まれて焦点が定まらなかったものの理由が、その時にやっと分かり始めたのを今でもはっきりと覚えている。
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# by kyouichinichi0104 | 2007-07-10 08:54 | 両親との関係
父と母 1
d0118492_11494127.jpg
今回こうして私が夫の治療に参加する決心をしたのと、
一年前に私の父親の最期を看取った時の気持ちが少し
だけ似ているような気がする。

両親は私が三歳の時に離婚している。
まだ健在だった頃の父とは、両親が離婚して
以来私が18歳の時と20歳の時の2回のみ、
数時間だけ会って話をしたことがあるだけだった。

決定的な離婚の原因になったのは、母の病気だった。
そのときで言う精神分裂病である。
今は統合失調症というのだろうか。
妄想・幻覚・幻聴で度々錯乱する母を父は支えてはいくことができなかった。
離婚することを母はかなり拒んだらしいが、結局は協議離婚の末に女の子は母親と暮らした方が幸せになるだろうという、父の考えから真剣を母に譲り、その後父と私は親子としてまともに口をきくことなく暮らしてきた。

女手一つで仕事をこなし、精神病という厄介な病気を抱えながら一人娘の私を育て、時には父親役もしながら、厳しくもありそして優しく、母は本当にたくましかった。
私を一人前に育て上げるためにした母の努力と苦労は並大抵なものではなかったはずだ。
そんな母の後姿を見ながら育った私は、幼い頃から父のことが大嫌いだった。

「母と私を捨てた」

という思いが心の中から消えなかったからだ。
絶対に許すことができなかった。
父親に会いたいという気持ちよりも憎しみの方がはるかに強かったのだ。

両親の離婚から25年という月日が流れ、私は大人になり人並みに結婚もした。
長い年月を経て、今になってやっと思えるようになったのは、母も父も両親である前に一人の人間としての選択ができる権利があるということ、そして離婚という選択は、あのときの状況ではやむをえなかったのだろうということである。

精神病を患っていた母は、ひとたび調子を崩すと私の前でも錯乱することが度々あり、手に刃物を持っては「もう活きてはいけない」と泣きながら私の枕元に立ち、自殺をはかろうとしたことが何度もあった。
押さない頃、まだ何も知らなかった私はどの母親もこういうことをするものだと、信じて疑ったことがなかった。
不安定な母親との生活が、私にとってはあまりにも日常でそれが当たり前のことだった。
ましてや周りの誰かが私に母は病気だということ、またそれがどういうことなのかを教えてくれたこともなかった。
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# by kyouichinichi0104 | 2007-07-02 13:01
空港にて 6

こうして私はたった一人、ハワイへ向かおうとしている。
五年間にあった様々な出来事を振り返り、そしてこれからどうなるのか分からない先の人生を考えながら。

病気の愛する夫を支えなければならないなどという絶対的な使命感からでは決してない。
夫婦としての彼に対する愛情は、ずっと昔に色褪せてしまっていたような気がする。
気持ちのすれ違いはお互いにずっと気がついていた。

ただ、それをお互いに直視することをあえて避けてきたのだ。
表面だけを取り繕い、幸せな夫婦を他人の前で装うのにも限界というものがある。

治療に参加する決心をしたのは自分のためでもあった。
もしこのまま離婚という決断をして、また新たな人生を歩んだとしても何かで大きな壁にぶつかるたびに、現実逃避ばかりしている自分がイヤで仕方なかった。
ずっと「生き方が分からなかった」と言えばいいのだろうか。

最後に出る結果はどうであれ、自分にできる限りのことをして出した結果であれば後悔は決してないだろうと思った。
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# by kyouichinichi0104 | 2007-06-28 14:48 | 出発まで
空港にて 5


はっきりと病名を告げられて、一つ思ったことがある。
米軍はアルコール依存症患者と、またその家族に対するケアが非常に充実しているということだ。
依存症という病気に対する考え方、また治療の方法はアメリカと日本を比べると雲泥の差である。

今回私が治療に参加することになったのも、アルコールは患者一人の問題ではなく、家族をも巻き込む病気で専門的な治療を妻の私も受けたほうが良い。という米軍側の考えからであった。
依存症であることがはっきりとした数日後、夫の所属する部隊の上司たち、主治医、カウンセラー、私を含めた総勢7名が病院に集まり、治療方針に関するミーティングが開かれた。
今現在携わっている仕事の調整、また家族に対する心のケアなど、それぞれが納得できるまで徹底的に話し合いがもたれた。

d0118492_1055153.jpgこういった一貫したプロセスが既にきちん
出来上がっていることに非常に驚いたのを覚えている。
後に聞いた話だと、トリートメントセンターの
治療の場まで一緒に参加した家族は、そのベースでは
私達が初めてのケースだったらしい。
なぜなら、こういった専門的な治療が必要になる頃には、家庭生活は大概崩壊しているらしいのだ。

アルコールの問題は家族全体の病気とあえて言われてみると、今になって思えば確かにそれは正しいと思う。
精神的にも経済的にも、もちろん肉体的にも家族への影響は想像以上に大きいものかもしれない。それよりも何よりも、私の一番の問題は共依存だったと思う。
離れたいのに離れられない。問題を手放したいのに手放し方が分からない。
この結婚生活を何とか持続させなければと思う反面、もうどうなっても良いという自暴自棄な気持ち・・・。
いろんな気持ちにあるジレンマの中で精神状態のバランスをとるために、私は様々なことをしては精神状態のバランスをとろうとしていたかもしれない。

人間はそんなに強い生き物ではないと私は思う。
辛いときや苦しいときには何かに頼りたくなったり、または何かに没頭して少しでも心の痛みを和らげようとする行為は、人間であればむしろ自然なリアクションだと私は思う。
酒であれ人間関係であれ求めるものは人によって違うと思うが、それが不健全であったり度をこしてしまうと、後から払う代償は大きいかもしれない。
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# by kyouichinichi0104 | 2007-05-02 11:51 | 出発まで
空港にて 4
最初は夫と私、別々にカウンセラーに会わなければならなかった。
それぞれの胸中を相手の感情を気遣うことなく話、カウンセラーが夫婦の関係をまず把握するためだった。
二度目のカウンセリングは夫婦一緒に受けたが、私達の問題はアルコールが大きく影響していると判断したカウンセラーは、夫にアルコール専門のカウンセラーに会うことを強く勧めた。
彼には本当にアルコールの問題があるのかどうかを確かめるべきだというのだ。

専門家とのカウンセリングと様々な検査の結果、診断は「アルコール依存症」と下された。
彼の酒の飲み方だと、命を落としてもおかしくないとも言われた。
今はまだ若いから、こうして比較的元気でいられるけれど、この飲み方を続けると、近い将来には体にも仕事にも、そして彼自身の人生にも決して良くない影響を及ぼすと告げられた。
そこで、ハワイにある陸軍の大きな病院で専門的な治療をすることを勧められたのだ。

夫はショックを受けていた。
彼自身は、酒の飲み方には今まで全く問題がないと思っていたからだ。
カウンセリングで正直に本当のことを話しても、
「これくらい飲むのは普通ですよ」
「あなたは病気なんかじゃありませんよ。あなたの奥さんがただ大袈裟なだけなんですよ」
などといわれることを予想していたが、よりにもよってアルコール依存症だと告げられたこと、そして早急に専門的な治療が必要であるということを、面と向かって告げられたことが相当堪えたようだった。

私はその反面どこかほっとしていた。
はっきりと病名を告げられたことで、今度こそは確実な助けが得られると思ったからだ。

こういったトリートメントセンターで依存症の治療をする軍人は、大抵が酒や薬物がらみで問題を起こして処分を受け、強制的に治療に送られることが殆どである。
夫のケースはそれとは若干違って、自らアルコールに対する問題があると認め、それを治療したいと願い出る形となった。
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# by kyouichinichi0104 | 2007-04-27 09:08 | 出発まで